初出
シェイクスピアだつて藝術の積りで御芝居書いてゐた訣ではないんだぜ ( アニメーション ) - 闇黒日記@Yahoo! - Yahoo!ブログ
2007/12/17(月) 午後 9:01
公開
2019-03-18

もっけ第11話

もっけ第11話ダイマナコ。ダイマナコは大眼で厄神。みんなの惡い事を記録して山の神樣に報告する勿怪。既に半ば忘れ去られてゐるのだけれども、なのに靜流が追つ拂ひ方を覺えてゐたので、感激して御話すると云ふのがこの囘の話。

靜流が、忘れられて追拂はれなくなつて仕事がやり易くなつたのでないかと尋ねると、勿怪と云ふものは人が覺えてゐるから出て來るもので、忘れられると出て來られないのだと大眼の答。

家に歸つた靜流、拜み屋である御爺さんに話をして、厄神が來なくなつたら厄もなくなるのかと尋ねる。爺さん曰、厄は無くならない、別の物が來るやうになるだけだ。さうしたら何うすれば良いの。また新しい附合ひ方を考へねばなるまい。靜流は言ふ、やつぱり昔からの厄神がゐなくなつたら寂しい、この厄神を忘れたくない。


もっけのアニメはあんまり出來が良くなくて、毎囘作畫が怪しかつたりいろいろ中途半端だつたりするのだけれども、作り手は眞面目に作つてゐるらしく、稀に矢鱈と常識的な事をキャラクタに言はせたりする。茲で言ふ常識的とは、陳腐とかさう云ふ惡い意味の事でなくて、當り前に持つてゐて然るべきだが今の日本では失はれつゝある知識の事だ。

そもそも妖怪變化のアニメは今の御時世、幾つか面白がつて作られてゐるが、既にただのファンタジーと化してゐて、おばけを信じてゐる子供は先づゐない訣で、さう云ふ意味では寧ろ或種の困難を抱へてゐる。が、一方で、その邊の事を意識せざるを得ないが故に、はつきり反時代的の態度を表明して示唆的な事をも言へる。

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