公開
1999-03-28
最終改訂
2001-05-07

聖ルミナス女学院 感想その1

1

『聖ルミナス女学院』は、これから先に何かあるのではないか、と云ふ期待だけで視聴者を引つぱつた作品である。まさに深夜でなければ放映出来なかつたであらう怪作である。

深夜といへば、かつてFM FUJIで土曜深夜2:00から『アマゾナイト』、それに引続いて『パイク・シフト786』なる番組を放送してゐたが、どちらも深夜枠らしい出たら目なラジオ番組であつた。前者はアマゾンズと云ふ4人(?)組の女性アーティストがストーリーだかシチュエーションだかを与へられて、1時間喋るだけ、と云ふもの。実にかつたるい番組だつたが、ときどき聴いてゐた。後者は基本的にはディスコ・ミュージックをかける番組なのだが、CMスポンサーがつかないとかいふ話をしたらついたとか、最初適当な事を言つてゐた星占いのコーナーが途中でちゃんと占星術師に占つてもらふやうになつたとか──まあ、無茶苦茶な内容で面白い番組だつた。

要するに、深夜枠で放映・放送されるテレビ・ラジオの存在意義といへば、平日昼間や夕方ゴールデンタイムに出来ない一部視聴者だけに受ける番組とか、楽屋落ちを含む業界に評判の番組とか、いい加減な内容だが妙に面白い番組とか──さういふものだと言ひたい事もなくはないのだが、昼間でも夕方でも深夜でも、何か一本筋の通つたよく出来た番組が本当は観たいのである。それが無理なら、と云ふ話である。

『ルミナス』に話を戻すが、これが夕方6時台に放映される事はまづこのままではありえない事で、しかし深夜枠でならば面白がつて観る視聴者はゐたのである。さういふ意味ではこのアニメーションが一般的な意味ですぐれた作品ではないが、マイナーな番組として魅力があつたと云ふ事は言へるであらう。

2

実験作で前衛作であつた『serial experiments lain』の後を受けて放映されただけに、多くの視聴者は『ルミナス』を多大な不安を持つて観はじめたはずである。(深夜アニメーションの視聴者は限定される)事実『lain』と違つて明かにチープな画質に落胆した視聴者は多数ゐたのではないかと想像する。『ルミナス』のアニメーション製作は『lain』に引続いてトライアングルスタッフで、とても同じ製作会社が作つたとは思はれないクオリティの落差があつた。

或は、前評判から同作を「美少女アニメ」として期待して見ようとしてゐたヲタも多数ゐたことと推測するのだが、さう云ふ視聴者は当然「ルミナス」は「裏切られた」と思つた事であらう。

しかし『ルミナス』はチープはチープなりに面白い実験を繰返してゐた訳で、それは明かに2Dヴィデオゲームを意識したと思はれる映像表現に表れてゐた、と個人的には思ふ。『ルミナス』の基調となる画面はしばしばのつぺりした印象であつた。一方自然描写の場面では奧行きのある描写をしてゐたのだから、かうした対比は意図的に行はれてゐたものと推測する。もちろんアニメーション製作上の手抜きでもあつた事は言ふまでもないし、デジタルアニメの走りである同作の表現レヴェルが後の作品にとても敵ふ筈もない事は指摘しておかねばなるまい。

トライアングルスタッフは深夜枠放映のアニメーションでは、グラフィック表現にかなり拘はつた。例へばそれは「深夜アニメ」のはしり『HARELUYA 2 BOY』のオープニング・エンディング(鮮烈な映像のヴィデオ・クリップ)に萌芽が認められる。『lain』は『BOY』のオープニングで使はれた様な映像処理を全篇に施し、スタイリッシュさをある意味極めたアニメーションだつた訳である。その『lain』のオープニングで、主人公の玲音が歩道橋をのぼるシーンがあり、そこは玲音にあはせて視点が移動する妙にゲーム風の映像だつたが、それはそのまま『ルミナス』の映像表現として使はれた、と言つてもよい。

スタイリッシュな『lain』を再現する事は『ルミナス』制作時には不可能だつたと思はれる。1998年と云ふのはアニメーションの世界では軒並製作体制が崩壊した時期で、(否それ以前からさうではあつたのだが)危機的状況であつたと云ふ『lain』の後である。はつきり言つて、トラスタも良く作つたものである。ただ手抜きの手法をそのまま映像効果に転用したスタッフの努力は、「ルミナス」のチープな雰囲気作りに役立つてゐた、と言つておかう。

3

『ルミナス』ではキャラクターのネーミングの投遣りさに呆れたが、事実最後まで誰が誰だか名前が覚えられなかつた。当初、『ルミナス』の企画自体は「美少女アニメ」だつたのではないかと誰もが思つた、のではないかと思ふのだが「美少女アニメ」で「キャラクターが立つて」ゐないのはマイナスである訳で、どうやら制作者は視聴者の裏をかいたらしい。キャラクターデザインも殆どのキャラクターが必ずしも「美少女」らしくなかつた。キャラクターの魅力に期待して『ルミナス』を観た視聴者はがつかりした事は間違ひない。(女装の男もゐたし)

だが、一方、キャラクターの名前を覚えようとしないで、期待もせず漫然と観てゐた視聴者(私)はこの作品の無茶な展開に襟を正すのであつた。制作体制の崩壊してゐたこの時期に、絵柄に依存した「美少女アニメ」をトラスタが作れる訳がないのであつて、「戦略」としては正しかつたと言へよう。

『ルミナス』のストーリーと云ふのは、要するに登場人物が消えていつて、また戻つてくる、それに主人公が振回される──と云ふ、ただそれだけのものでしかない。全篇盛上がりなどないし、各話でいちばん賑やかなのはエンディング──ただ、恐ろしくのんべんだらりとした『ルミナス』の底辺に、よくわからない不安があつたのは事実である。

もちろん一番の興味は、こんな適当な話にきちんと決着がつくのか、と云ふ点にあつた──否、それだけである。来週も少女が消えるんだらう、と云ふ事は視聴者は全員わかるのである。そして何となく帰つてくるんだらう、ともわかる訳である。そして登場人物が何で消えて、何で戻つてくるのかも、何となく予想はついてしまふ。それでも何となく視聴者は月曜夜1時15分になるとテレビ東京にチャンネルをあはせてゐた。

4

結局『ルミナス』は何となく観る(べき)アニメーション作品だつたと言ひたいのである。不安感は裏返してみれば、どうせこの程度にしかなるまいと云ふ安心感であり、事実『ルミナス』は「この程度」と云ふ印象(あるいはチープさ加減)を最後まで保ち続けた。物語の展開は視聴者の意表など全くつかず、思つた通りに展開した。

まさに「深夜アニメ」の一方の王道を行く作品であつた──漫然とした視聴に耐へうる作品と云ふ意味でである。もう一方の王道とは、表現の極北ともいへる前衛作品であり、例へば『lain』であつた。深夜枠で放映されるアニメーションで、かうした王道を行く作品が幾つも無いと云ふのはどう云ふ事か──などと嘆く事はない。よいものは少ないに決つてゐる。

追記

どうでもよいのだが、電撃コミックスの『TV版 聖ルミナス女学院』は同人誌みたいな作りで、これまた安つぽい。カラーならいいのだが、白黒でフィルム・コミックとはねえ。

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