初出
「闇黒日記」平成二十一年十一月一日
公開
2009-12-05

「空中ブランコ」の脚本のひどさ

實は、ヲタ向けアニメの制作者の方がまだ脚本をまともに扱つてゐるのであつて、「藝術的」なアニメ・アートとしてのアニメを作つてゐる人は全員、一人の例外も無く、脚本を輕視し、ストーリーそれ自體を馬鹿にしてゐる。新海誠氏ですらさう云ふ傾向があり、繪の美しさに文句を言ふ氣はさらさらないが、ストーリーの駄目な事はもつと非難されて良いと思つてゐる。

フジテレビでやつてゐる空中ブランコなんかは、これは最う何うしやうもないくらゐ脚本がクズで――ところが、クズな脚本でなければ「藝術的」にならない、と、制作者が信じ込んでゐるから、何うしやうもない。そして、世間の多くの人も、ストーリーがあるアニメはお子さま向け、ストーリーがぐだぐだでどうしやうもないアニメは藝術、と云ふ勘違ひをしてゐる。

クズの脚本を使つてゐるアニメもゲームも映畫も、全てクズなのだが、映像が美しければ全ては濟はれる――と言ふより、映像が汚くても濟はれる、と云ふ通念すらも「ある」やうに思はれる。と言ふより、脚本が駄目であればあるほど、且つ、映像が汚ければ汚いほど、それは素晴らしいアニメーションである――と、そこまで勘違ひしてゐる人が、この世には相當數ゐるのでないか。「映像作家」の人が作るアニメーションが「シュール」で「グロテスク」なのは、脚本の惡さと技術のなさを端的に示してゐるものと言へる。

……なんで、きちんと纏まつてゐて、面白いストーリーと、綺麗で見易い繪とで構成された、TVで毎日毎夜オンエアされてゐる「良く出來たアニメーション」が、散々けなされなければならないのか。私には解らない。

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