公開
2000-03-29

HARELUYA 2 BOY

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トライアングルスタッフ制作の「月曜深夜25時15分枠アニメ」第1彈──「深夜アニメ」の走りです。最初に觀た時は、夜中になぜかアニメをやつてゐるので、仰天しました。それまで、深夜のアニメは「ミッドナイトアニメ」とか「カクテル何とか」の類のショートストーリーしかありませんでした。「HARELUYA 2 BOY」放映當時、ちやんと30分間、ストーリーが進行する、全うなアニメが深夜に放映されたと云ふ事自體、衝撃的でした。

この作品で出色なのは、何と言つてもopです。日本アニメーション史上に殘る鮮烈なミュージック・クリップです。のちのlainのそれを髣髴とさせるノイジーで猥雜な雰圍氣──私は深夜にアニメをやつてゐると云ふ事實の次に、このopに衝撃を受けました。もつとも、はじめてこのアニメを「發見」した時はエピソードの途中だつたのですが。詰りは、ストーリー自體が面白かつたので、翌週落着いてちやんと觀た譯です。(のち、ヴィデオ第1卷を中古で購入)

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ストーリーは原作のものを踏襲してゐますが、絶妙に改變されてゐます。作畫は二流だが、今川監督、梅澤春人氏の原作とストーリー作りのテイストが似てゐるのですね、第2話以降は異常なハイテンションで話を展開してくれます。第1話はやや違和感があります──たいていのアニメーションでは、初期とその後との間には斷絶があるものであり、初期のエピソードには獨特の不安定感(或は居心地の惡さ)があるものであり、それは特にスタート時のエピソードに顕著であるものですが。

清志郎は、ちびのくせに妙に低音で、ちよつと違和感があります。日比野晴矢は「惡(わる)」を倒す時に「俺の背中で懺悔しな」を決め臺詞として言ひます。これは原作にはありません。(背中からフライパンが出てくるのに、敵が驚く──と云ふか、呆れる──のは、しよつちゆうですが)別に決め臺詞がなければ成立しない作品ではないので、要らないと云へば要らない臺詞ではあります。

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とは云へ、ワンパターンの、單純明快な勸善懲惡ものとしてTVアニメーション化したのは正解だつたと思ひます。「HARELUYA 2 BOY」は最近の漫畫としては、異常なまでに單純なメッセージしか持ちません。「神も佛もあるものか」と云ふ刹那的な風潮を受容れてゐる連中に晴矢は眞つ向から勝負を挑み、常に勝ちます。晴矢は一般的な觀點から判斷すれば、馬鹿です。こんな人間、ゐる譯がない。だが──だからこそ晴矢はヒーローである。

そして、「HARELUYA 2 BOY」の登場人物は皆、夢を信じ、眞劍に追求してゐます。こんな連中は、現實にはゐません。しかし私は、眞劍な人間ばかりが登場し、眞劍勝負を延々とやり續ける「HARELUYA 2 BOY」が大好きです。晴矢も、清志郎も、一條も、山名みちるも、ボブぢいさんも、みな眞劍に生きてゐる──敵役ですら、魅力的な惡人ばかりです。「最低」の事をやつてゐるにもかかはらず、晴矢の敵は皆、眞劍に晴矢と戰ひます。そして、負けます。負けて、彼等は晴矢を恨んだり恨まなかつたりする。しかし、恨んでも、晴矢を輕蔑しません。晴矢の事を、負けた「惡人」は、尋常ならざる敵として認めてゐます。

「HARELUYA 2 BOY」は夢物語です。現實離れしたお話です。しかし、魅力のない、昨今流行の「現實的なストーリー」よりも、「HARELUYA」の方が私にはずつと魅力的に感じられます。日比野晴矢達の事が私は大好きです。彼等はきつと、自分達の夢を實現して行くでせう。

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