公開
2004-12-11

DearSアニメ版について

1

私は最う長い事、論ずるに足るTVアニメーションを見出せないでゐる。假にDearSを採上げてゐるけれども、實はそれ程、論じなければならない程、興味深い作品だと思つての事ではない。しかし、今までに論じてみた殆どの作品も、實はさうなのであつて、私は決してTVアニメーションに淫してゐる積りはない。

lainにしても吸血姫美夕にしても、「文學青年崩れ」のアニメーションであつて――そして、實は多くのTVアニメーションもさうなのだが――それだけの理由で、文學的な興味を引く。一方で、慥かに「文學青年崩れ」の作品であるにもかかはらず、或は、それゆゑに、「文學的なアニメーション」は文學たり得ない。

一方で、今は「文學青年崩れ」の作るTVアニメーションは、逆に減少してゐると言ふ事が出來る。月詠や舞-HiMEは――いや、双恋が典型であるやうに――キーワードとしての「萌え」を押出しながら、今の制作者はエンタテインメントを意識しすぎる程意識してそれに撤しようとしてゐる。が、さう云ふ作品に、逆に私は興味を強く引かれない。

「TVアニメーションはXである」――さう云ふ意識が強過ぎる。現代の商品は、一般にさうである。さう云ふ商品を目前にした時、私は嫌惡を感ずる。

2

かう云ふ辯解を毎囘書かざるを得ない程、私はTVアニメーションの商品としての押附けがましさに辟易してゐるのだけれども、一方で、商品性を意識しながら、商品性とは違ふXを持つ作品を稀に見て、好感を覺える。2004年ではDearSのアニメ版を好意を持つて私は視聽した。

メディアワークスのマルチメディア展開における戰略的商品であるDearSを、さう云ふ風に言ふのは、當を失してゐるかのやうに見られるかも知れない。けれども、同時に、アニメ版DearSが――ゲーム版ともども、メーカにとつては殘念な事に――必ずしも「萌え」作品として高く評價されてゐない事は、指摘しておいて良いだらう。「萌え」作品が、賣り方とは逆に、「萌え」作品として評價されない――DearSの場合は、作畫の惡さのせゐもあるが――賣り方として戰略的なミスでないならば、作品自體の特質が賣り方を裏切つてゐるのである。

DearSの原作者PEACH-PITが、女性二人のユニットであり、男性作家の女性愛好的な限定的態度を超えて突放して人物を描いてゐる事は、屡々指摘される。それを私は否定しない。しかし、肯定したからと言つて、そこから先に私は話を進めない。そこで話が終るのである。

3

ここまでexcuseを書いておいて。

ローゼンメイデンと比べてDearSの方がちやんとSFになつてゐる點では評價したい。ファーストコンタクトものとして、宇宙人の「極めて異樣な側面」を描いて、その違和感を表現してゐる點、DearSはSFとして「なつてゐる」。

異常な蜜香先生の存在は――この程度の異常は、吾妻ひでおでは日常茶飯事である。所詮漫畫なのだから、私は一々煩く言はない。もちろん、リアリティは全く無いから、藝術としては大嘘である、と云ふ事になる。が、漫畫は藝術ではない。精々、擬似的なものにしかならない。

原作と比較されて、構成が大きく變更されてゐる點を、アニメ版DearSは指摘される。私としては、起承轉結をきちんと附けてゐて、それなりに見られるから、評價する。

思つたよりはずつと良く出來たあにめであり、TVKの場合、DearS→ニニンがシノブ伝の一時間は、樂しく過ごせる一時間であつた。細かい事を一々考へないで樂しい時間を過ごせる作品であつた事は、評價して良い。

世間的にDearSの評判は、ディープなヲタ方面では必ずしも良くないらしいが――放映期間中、案外惡口は少く、寧ろ面白いと云ふ意見が、各地のウェブの日記を見ると、多かつたやうではあるが――個人的には樂しい作品だつた。だからDearSを2004年のベストの作品の一つとしておく。

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