新潮文庫にて再刊(1954年)。後に講談社学術文庫に收録される(昭和51年6月30日第1刷発行・昭和51年7月5日第2刷発行)。その際、表記を變更し、「搾取論」と「共産党宣言の今昔」を追加してゐる。
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殘念ながら過去の日本人は、權力者の強制と威壓とによつて始めて秩序と規律とを守るやうに、久しく慣らされてゐた。その舊權力が除かれると、(若干の例外は別として)國を擧げてダラケてしまひ、責任といへば、たゞ他人の責任を問ふことにのみ熱心な國民となつてしまつた觀がある。自由と放縱とは同じではないとか、規律のあるところに始めて自由の保障があるとかいふことは、今更くり返すのも恥かしいほどの陳腐な説教にきこえるが、今はその陳腐を嫌つてはゐられない。吾々は更に恐るべき反動の來たり得べきことを、夙く自ら戒めなければならないのである。
過去に於ては強權下の秩序があつた。しかし兔も角それは秩序であつた。強權の除かれた後に、吾々は新しい民主的秩序を立てなければならぬ。しかし、それは未だ實現されてゐない。のみならず、現状は、その遂に望みなきことを示してゐると感ずるものがないとはいへぬ。若し人がたゞ過去の權威下の秩序と現在の民主的(?)無秩序とを見て、心にこれを比較する結果、明日に對して自信を失ふことがあつたなら果たしてどうであらう。ワイマアル憲法制定からナチ執權に至るまでのドイツ國民の歩いた道は、吾々にとり恐れても恐るべき惡前例である。