清澤洌
- 「暗黒日記」について
- 2021-12-18
- 座談會「日本語の海外進出について」
- 2021-12-18
略歴
- 明治23年2月8日、長野縣北安曇郡穗高村生。
- 北穗高村の研成義塾で學ぶ(明治36年〜38年)。
- 明治39年渡米。ホワイトホース大學で政治經濟を學ぶ。
- シアトル・サンフランシスコ・ロサンゼルスで邦字新聞「北米記事」「新世界」「羅府新報」の記者、寄稿家。
- 「中外商業新報」初代外務部長・特派員、「朝日新聞」企畫部次長、「中央公論」特派員、「報知新聞」論説委員、國際ペン・クラブ日本代表、「東洋經濟新報社」顧問、日本外交史研究所所長を歴任。三木清、嶋中雄作らと「國民學術協會」を結成(昭和15年)。
- 在外年數は通算14年に及ぶ。
- 昭和4年、エッセイ(架空對談)「甘粕と大杉の對話」を右翼から激しく批判され、朝日新聞を退社。
- 外交史研究家、評論家。『日本外交史』(東洋經濟新報社)は名著。
- リベラリスト。「言論報國會」が結成された際にも聲が掛からず。
- 戰中、將來執筆する著作の材料として日記を附けた(新聞の切拔きを多數含む)。昭和20年5月21日、肺炎の爲聖路加病院にて死去。遺された日記は「暗黒日記」と題して公刊された。
著書
- 『米國の研究』
- 大正14年、日本評論社。
- 『モダン・ガール』
- 大正15年、金星堂。
- 『黒潮に聽く』
- 昭和3年、千倉書房。
- 『自由日本を漁る』
- 昭和4年5月、博文堂。
- 『轉換期の日本』
- 昭和4年10月、千倉書房。
- 『巨人を語る』
- 昭和5年、三省堂。
- 『アメリカを裸體にする』
- 昭和5年、千倉書房。
- 『不安世界の大通り』
- 昭和6年、千倉書房。
- 『フォード傳』
- 昭和6年、三省堂。
- 『アメリカは日本と戰はず』
- 昭和7年、千倉書房。
- 『亞細亞モンロー主義』
- 昭和8年、千倉書房(飜譯)。
- 『非常日本への直言』
- 昭和8年、千倉書房。
- 『革命期のアメリカ經濟』
- 昭和8年、千倉書房。
- 『激動期に生く』
- 昭和9年、千倉書房。
- 『世界再分割時代』
- 昭和10年、千倉書房。
- 『現代日本論』
- 昭和10年、千倉書房。
- 『ファッショは何故に生れたか』
- 昭和11年、東洋經濟パンフレット。
- 『時代・生活・思想』
- 昭和11年・千倉書房。
- 『極東の危機』
- 飜譯。米國・前國務長官スチムソン著、昭和十一年十一月一日、『中央公論』十一月號別册。原題"The Far Eastern Crisis"(Recollections and Observations by Henry L. Stimson)。
- 『ソヴエト聯邦の批判』
- 昭和12年、千倉書房。
- 『現代世界通信』
- 昭和13年、中央公論社。
- 『第二次歐洲大戰の研究』
- 昭和15年、東洋經濟新報社。
- 『外交史』
- 「現代日本文明史」第3卷。昭和16年、東洋經濟新報社。のち増補、上下巻。
- 『外政家としての大久保利通』
- 昭和17年、中央公論社。のち中公文庫。
- 『暗黒日記』
- 歿後。