初出
「闇黒日記」平成二十年五月三十一日
公開
2008-12-01

ヨゼフ・ロゲンドルフ「民主自由主義の檢討」

雜誌「世紀」昭和二十四年五月號にヨゼフ・ロゲンドルフが「民主自由主義の檢討」と云ふ文章を寄せてゐる。

……。

近代における政治上の諸制度ならびに術語は大體に於て西歐文化が生み出したのであり、それ故に西歐文化を形成した最も偉大な、唯一の力、即ちキリスト教の影響を強く受けたものである。特に、民主主義はキリスト教を除外しては考へられない。勿論、キリスト教は、その本質から言つて民主主義と結合してゐる譯ではなく、キリスト教徒のすべてが必ずしも民主主義者とならねばならぬといふ譯のものでもない。がしかし、事實において、民主主義的衝動はキリスト教の福音の霊感が歴史に具體化した、その一つのあらはれであるばかりでなく、ジャック・マリタンも言つてゐるやうに「キリスト教なくしては存續し得ない」ものなのである。

……。

ロゲンドルフは、産業時代に出現した自由主義が新しい理念や偉大な改革を何一つ生み出さなかつた事を指摘する。その爲、自由主義はそれ自體として強いイデオロギーではあり得ず、非難する勢力を抑へる事が出來ない。自由主義は安定した傳統と確固たる道徳的基準が確保されてゐる社會においてはじめて最も有用なものとなる

西歐の自由主義は、世俗化され、「靈」を喪ひ、骨拔きにされてしまつた。それを日本人は明治時代に採入れた。日本人は、自らの傳統や價値觀を切捨て、それによつて短期間に近代化を達成した。だが、自由や進歩の概念はそれ自體としては手段でしかない。現代の日本における民主主義或は自由主義は、背景となる道徳的意識や價値觀を缺いてゐる。その爲ただただ功利的なものである。

自由は目的ではなく手段である。人間が自由に解放されてはじめて如何なる目的に自己の生涯を賭けるかといふ眞の問題が生じてくるのである。まことに自由は人間が責任ある道徳的行爲者なるが故にこそ、高い價値を持つのだ。

「自由とは何か」、「進歩は何處を目ざすか」といふ緊急の問題に決定的な解決を與へ得ぬ限り、幾度進歩や自由の題目をとなへた處で何の用をもなさぬないであらう。

ロゲンドルフは、クリスチャンであり、キリスト教の理念を實現する目的を持つてゐて、それで手段としての自由を稱揚してゐる。ところで、現在の我々日本人は、依然として明かに功利的な目的で、自由主義を採用し、維持し續けてゐる。が、それで良いのか。

雜誌「世紀」は、エンデルレ書店から刊行されてゐたキリスト教の雜誌。ロゲンドルフの文章は「現代かなづかい」で印刷されてをり、引用文では正しい假名遣に改めた。

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