初出
「闇黒日記」平成二十年十一月六日
公開
2008-12-01

ヨゼフ・ロゲンドルフ『キリスト教と近代文化』

書誌
昭和二十三年九月十五日
アテネ文庫30

今日の大衆的革命運動を、何時の時代にもあるやうな、支配者の壓迫と失政の反動として生じた一種の暴力と無秩序と考へることは誤であらう。全體主義的革命家逹は、常に宗教的特色をなしてきた絶對的完全さに對するあの敬虔な熱意を以て、社會の極端な轉覆と改革とを企ててゐる。宗教的メシヤニズム――ただそれにほんの申譯的な生物學と經濟學的公式と愛國的スローガンとの薄鍍金をかけたものが、世界制覇を目ざした嘗ての國家社會主義の根本的動力をなしてゐたのだ。更にまた、マルクスの辨證法的唯物論も、その見せかけの嚴密な論理性の背後には、經濟史の恐ろしい展開につれて一歩一歩近づいてくる最後の審判の默示的な幻影の火が燃えてゐる。實際、今世紀に於ける全體主義哲學はすべて、キリスト教會を追放した結果近代社會に出來た大穴を埋めるべく、反教會の旗印も鮮かに乘りこんできた異教なのである。宗教のみがそそり立てることのできる忠誠と献身と雄々しさの感情は、悉く彼等の手中に歸した。彼等もまた、キリスト教と同じやうに殉教者も豫言者も、祭式も行列も、そしてドストイエフスキーがすでに豫言してゐたやうに、大審問官の宗教裁判まで、取りそろへてゐるのである。

しかしかかる新勢力がキリスト教と根本的に相違する一點は、彼等の祭壇には神がない、といふことである。それだから、たとへ彼等の祭式が如何に華麗であらうとも、所詮それは惡魔による神の冒涜でしかないのだ。……。

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