1890〜1971。詩人、英文学者。本名樋口国登。長野県生まれ、大正3年早大英文科卒。在学中西条八十らと詩誌「聖盃」を創刊、のち「仮面」と改題。「形態と音調の錯綜美」という特異の美意識から多くの詩を書いた。長く早稲田大学の教壇に立ち英文学を講じた。
黄眠道人、風流易米叟、聽雪盧主人等と號す。「ゴシック・ロマン體」と稱せられる詩で知られる。
單に言葉ばかりではない。根本的な對社會、對人生、對藝術の態度に於て、鋭感纖細なるが故に遠きを豫感しつゝ、猪突せず、善き保守の立場を取るのがこの詩人である。
往年、模倣的民主詩人の阿諛的大衆詩を氏獨特の鋭鋒で假借なく痛罵し、これに對して相手方の連中もいろいろと反駁して論戰の形をなしたが、今日から見れば當時の所謂民主的詩人の詩業が、何ら民主詩の發展に役立つ事さへなく、詩といふのさへも覺束ない形となつてゐるのに對して、日夏氏の業績を比べて見る時、歴史の正しい批判をまざまざと目のあたりにする感がある。
この頃のやうに當用漢字や現代假名遣ひの奇怪な用例に段々と無感覺になりつゝある時代には、言葉の美の感覺を喪失せぬためにも、この一見晦澁で取つ付きにくい感のあるこの詩人の語法をよくよく玩味して、その柔軟性と彈力性と甘味なる味ひとを多少なりとも味覺する訓練が必要ではあるまいか。
時流に媚びて生半可な氣取つた風の言葉使ひなどの及びもつかぬ、古今東西に跨つての滋味に參ずる幸福をちと味はつてはどうだらう。
詩では、誰も使はないやうな漢字を用ゐ、異樣な雰圍氣を作り上げてゐる。おどろおどろしい作風なので、幻想文學に分類される事もある。哲學的、思想的な深みは必ずしもあるとは言へない。
長谷川潔のエッチング各三葉を含む。