公開
2010-11-30

『東西文化比較研究 日本美は可能か――美意識と倫理』

書誌

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昭和48年11月20日 發行
編者 日本文化会議
研究社出版

高階秀爾「はしがき」より

本書は、日本文化会議の主催により、昭和四七年十二月二日、三日の両日、大磯のロングビーチホテルで開催された東西文化比較研究第三回セミナー「日本美は可能か――美意識と倫理」の内容を纏めたものである。このセミナーは、第一回の「啓蒙思想の比較研究」、第二回の「日本におけるジャーナリズムの特質」と同じく、東西文化の比較という視点に立って、日本特有の美の表現、およびそれを支える美意識の在り方を探ろうとしたもので、具体的には、全体を「美意識を支えるもの」、「芸術に現れた『死』の姿」、「生活の中の美」、「技術と運命」の四つのセッションに分け、それぞれのセッションごとに発表者が予め論文を準備し、参加者全員がその論旨を熟知の上で、発表者の補足説明、コメンテイターの解説、全員の討議という方法で進められた。本書に纏めるにあたっては、その発表者の書下しの論文も含めて、セミナーの経過をなるべくそのまま再現するよう努めた。また、昭和四七年三月二五日、日本文化会議月例懇談会で私が発表した「日本人の死生観と美意識」は、第一論文と直接補い合うものであるので、参考のため巻末に収録した。

「第一セッション 美意識を支えるもの」より

コメント・福田恆存

私は三島由紀夫さんがよく文武両道ということをおっしゃって、それが日本人の美徳であるかのようにおっしゃったのですけれども、私はかねがねそれを疑問に思っておりました。日本人の美意識は、あるいは生活感情というものを歴史的に考えてみますと、文武背反、あるいは文武乖離であって、それこそ日本の特徴ではないか、それは大体、藤原時代、藤原の公卿文化というものから起こってきて、文化の担当者と政治の担当者とが分離したというところにいろいろ日本人の美意識、生活感情の特徴があるのではないかと考えております。江戸時代と平安朝とはこれは裏返しの関係にあって、江戸時代というのは一種の貴族文化ですが、これは町人貴族の文化であって、武士というのは政治とそれから文化教養というものは古典だけに限られていて、その時代の文化の創造者という役割を武士は果たさなかった、末期になれば町人文化に巻き込まれますけれども、それはいわば堕落現象でしかなかった。この文と武の背反不離の関係は美と倫理、文化と政治との関係にも見出されるので、たとえば、近代日本の文学者、知識階級が神経質なくらい、偽悪反俗、反体制の姿勢をとりたがるのも、かならずしも西洋の自然主義、自由主義の影響とのみはいえず、以上の歴史的習性と無関係ではないと思います。

●自由討論

いまの佐伯さんのロマン主義の問題にもちょっとふれたいんですけれども、山崎さんのおっしゃった標準語としての西洋というんですが、これはもう少し卑俗にいうと、現代日本人が理解した西洋という意味に過ぎないと思うのです。同様に日本の古代文化あるいはその美意識というようなものも、現代日本人が、というより時にはある種の現代日本人が、自分に都合のいいように理解している古代日本像だというふうに思うので、その点でさっき私が申し上げたように、近代日本の在り方というものを問題にしないと東西文化の比較というのが本当にできないのではないかというふうに思うのです。

もうひとつ、美意識をあらわにしなかったというのは日本人の特性だといいますと、これは美意識の問題ではなくて、美に限らずあらゆるものについての日本人の分析ぎらいという問題に還元してしまって、美をもっぱら対象とする芸術家の問題じゃなくて、美を科学とする学者の問題になってくるということになってきて、美意識の問題じゃないんじゃないかなというふうに思うのです。美意識というのはやはり芸術家あるいはそれを鑑賞したり、生活の中に生かしたりしている一般庶民の問題なのであって、分析の問題になるとこれは学問の問題、科学の問題になってくるというふうに思うのです。そうなると、科学は西洋には発達したのに日本には発達しなかったというだけのことになってしまう。

それから、ロマン主義の問題ということになりますが、直ちにロマン主義をそれ以前の古典主義に反対するものとして主観的なもの、あるいは心情的なもの、あるいは非合理的なものと規定するのは、講壇的文学史の陥りがちな通念であって、実は私はロマン主義というのはイギリスの経験哲学から影響を受けて、フランスの百科全書の連中がやったいわばレフトの啓蒙主義の運動だと考えております。日本の学生運動でいえば民青が啓蒙派、ルソーが新左翼というわけで(笑い)、ロマン主義を宗教、秩序、合理主義にたいする反対とのみはいいきれない。少なくとも合理主義への反対という看板でごまかされてはいけないんで、むしろロマン主義を出発点として、その後に理性、あるいは合理主義を基盤とする近代が始まったのではないでしょうか。近代の実証主義のもとをたずねるとロマン主義にあるんではないだろうかということをちょっとつけ加えさせていただきます。さらに蛇足までにつけくわえますと、ロマン主義とひと口に片づけるのは危険で、イギリス、フランス、ドイツと、この三国を考えてみても、それぞれの性格は本質的に異なっているので、その差はそれぞれの民族性から来るのだと思いますが、それをロマン主義として一括したばあい、その論者が主としてどこの国のロマン主義を考えているのか、はっきりさせる必要があると思います。

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