ところで、日本語はむずかしい、いや、むずかしくない、日本語は乱れている、いや、乱れていない、日本人の国語力は低下している、いや、低下していない、漢字は廃止した方がいい、いや、廃止してはいけない、というような議論があり、それはそれなりに意義があるとしても、普通一般の国民からは、いささか迂遠な議論のように見えるのではあるまいか。それよりも、日常話したり書いたり、あるいは聞いたり読んだりしている言葉について、これこれの言い方、これこれの書き方は間違いではないか、こう言うべきではないか、こう書くべきではないか、というような具体的な意見や議論の方が有益であろうと思う。
近頃の若者は言葉を知らない、リポートや手紙を見ると誤字だらけである、と批判することはやさしい。事実その通りであると思う。が、それなら、いや、そうであればなおのこと、具体的にどうすれば国語力をつけることができるのか、そこまで考えてやらなければならないのではあるまいか。もとより一冊の本を読んだからといって、急に国語力が増すとは考えられない。が、本書はいくらかでもその手助けになることを願ってあまれたものであり、一般の国民に喜んで迎えられることを確信している。
本書は五部から成り、主として第一部は言葉づかいの誤用に関するもの、第二部は漢字の誤用に関するもの、第三部は日本語についての筆者の意見とか読者の質問に応えたもの、第四部は「朝日新聞」から寄せられた反論に応えたもの、第五部は市原先生が特に本書のために執筆して下さった新聞の表記に関するもので、掲載は原則として「アイウエオ順」によったが、説明の都合で順序を変えたものが若干ある。
なお第四部の「『朝日新聞』の反論に応える」は、国語問題協議会の会報「国語国字」第九十二号に掲載されたものであることをお断りしておきたい。第五部は、市原先生の強い御要望と論文の性格とを考え合せ、また新漢字、新かなづかいで育った若い人々に正漢字、正仮名づかいのよさをちょっと味わって貰うのも有益であろうと思い、出版社の許しを得てあえて正漢字、正仮名づかいで掲載した。
文部省による戦後の国語改革以来、筆者の表記を改めるのが当り前のことのような風潮があるが、国語間題協議会はこうした風潮に反対し、筆者の言葉づかい、文字づかいを尊重する立場をとっているので、『崩れゆく日本語』にしても本書にしても、あえて表記を統一しなかった。従って表記の不統一は大目に見ていただきたい。