制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
改訂
2001-11-27

文學と人間の言語──日本におけるG・ジョージ・スタイナー──より

ポーノグラフィーの問題

スタイナー

日本では平和主義というものが大切にされていますし、政治的にもきわめて重要視されています。したがって、日本ではたいへん言いにくいことですが、つぎの問題を私たちは回避してはならないと思います。つまり文化というものは、いったいどれほどの期間、戦争をおこなわずに存続しうるでしょうか。私たちはその答を知らないのです。たとえばヨーロッパで平和の時期がこれほど長期にわたって続いたことはかつてありません。現在、戦争がおこれば、私たちが生き残れないだろうということは、客観的に、頭ではわかっています。しかし一方では、退屈の問題がたいへん大きな問題となってきています。

 イギリスでは今日、テレビも映画も、芝居も本も、戦争を素材にしたものが非常に多いのです。圧倒的な人気をえている番組をみると、たとえばナチスの時代とか第一次世界大戦をテーマにしたものが、その大部分をしめています。表面的にみれば、この現象はより良き時代、輝かしい過去への郷愁であるといえます。しかし、間題はもっと深いところにありそうです。たとえば、あなたにイギリス人の友人がいるとします。かれがあなたの親しい友人ですと、少し酒を飲みすぎたような時に、突然こんなことをあなたに向かって言いだすでしょう。「戦時中はよかった。人生にはもっと意味があり、もっとはっきりした形があり、もっと活気があった。自分の才能を最大限に生かすことができた。ところが今は、人生はすっかり灰色で、単調だ。才能を充分に生かせないし、もてる能力も活用できない」と。ところで、戦争がなければないで、かならず戦争にかわるものがあるものです。大都会の通りや私生活の面でふるわれる暴力の多くは、一種の戦争ごっこであり、実際の戦争にかわるもの、といえるのではないでしょうか。

 現在、人間のうちに深く根ざしているこうした暴力の本能が、芸術や文学のなかに流れこもうとしています。いや、もうどんどん流れこんで来ていると言ってよいでし上う。私たちは、私たちの内部で沸騰している暴力に具体的な形を与えるために、芸術や文学を利用しているのだと思います。現代世界は人口過剰の、きわめて政治的な世界であり、そこではもはや人間は動きがとれません。あまりにも多くの人間が密集し、あまりにも複雑でありすぎます。これを思うと、私は人類の未来について不安を禁じ得ないのです。サディズムやポーノグラフィーといったものが、なんの疑問もいだかれずに、私たちの文化の中に氾濫する危険があるからです。ある意味では、こういったものの氾濫も必要でしょう。それは、想像力にとって一種の麻薬の働きをするからです。しかし、一方では、きわめて深刻な間題を生みだしています。

江藤

いまのお話をもう少し発展させていただきたいと思います。たとえば現在の日本で、社会的、文化的事件になりつつあるポーノグラフィーの問題があります。永井荷風の作であると伝えられている−−はたしてそうかどうかについてはいろいろな意見があるのですが−−「四畳半襖の下張」というポーノグラフィーがあります。もちろんその存在は前から知られていましたし、秘密に読んでいた人もかなりいると思いますが、この作品がさきごろ何万という発行部数のあるある雑誌に発表されました。そしてそれを発表したことについて発行と編集の責任者が告発され、現在裁判が進行中です。この刑事事件については、いろいろ議論がおこなわれているところですけれども、スタイナーさんのポーノグラフィーに対するお考えをうかがいたいと思います。人間が絵に描いたような聖人君子ではいられない以上、ご指摘の通り戦争に対する潟望が存在するのが事実であるように、ポーノグラフィーを求める気持が人間の心に潜んでいるのはあたりまえだと思いますけれども、それは元来そういう位置に置かれるべきものでしょうか? 現在の英国の状況は日本の状況とはそのまま類推できないかもしれませんが、英国の人々はこの問題をどう考えているかというような点について、ご意見をうかがいたいと思います。

ポーノグラフィーやサディズムが平和な社會に瀰漫する事は人間と暴力とが切つても切れないと云ふ事の證據であり、ならば平和が續くのは決して良い事ではないのではないか、或は、「人間にとつて戰爭は絶對に必要な事であると認識すべきではないのか」と、スタイナーは問ひかけた。

スタイナーはポーノグラフィーについて述べたかつたのではない

スタイナーは人間と戰爭の關係について江藤に問うたのである。ところが江藤は「話を發展させる」と言つて、その實、話を逸らした。そして、話をポーノグラフィーの方へ持つて行つた。


この對談はTVで中繼・放送された由。江藤が話を逸らした瞬間、スタイナーが失望したやうな表情をした樣子を松原正氏は目撃し、報告してゐる。

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