制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
初出
「知られざる傑作」2000年01月04日(火)
公開
2001-06-25
改訂
2001-11-27

『正統とは何か』

書誌

ことば

こんな書物を書かねばならぬ理由はどこにあるのか。答はただ一つ、挑戰を受けたからといふにつきる。決鬪を受けて立つたのである以上、たとへ少々手許が狂つてもこちらの面目は立たうといふものだ。數年前のことである。『異端者たち』と題して、一連の論考を一本に纏めて上梓したことがある。急いで書いたものではあつたが、不眞面目に書いたつもりはない。ところでこの書物にたいして、何人かの批評家筋からお叱りを蒙つた。……そのお叱りとはかうである。つまり、私が誰かれとなく相手をつかまへて、包括的な世界觀を明示せよと迫るのは結構だが、それなら私自身はどんな世界觀を抱いてゐるのか、その點は周到に言明を避けてゐる、自分で自分の要求に實例をもつて答へてをらぬではないか、といふのである。「私の哲學のことを心配するのは、チェスタトン氏がまづ彼自身の哲學を披瀝してからでも遲くはあるまい」ストリート氏はかう言はれる。だが、おそらく氏は、もう少し愼重に相手を見てからこの言を吐かれるべきであつたらう。なにしろその相手たるや、ほんの些細なきつかけさへ與へられれば、たちどころに數卷の書物をものしようと待ちかまへてゐる私だからだ。それはともかく、この書物は、なるほどストリート氏にきつかけを與へられ、いはば彼を産婆として生まれたものには違ひないが、しかし別に彼に是非とも讀んでいただくには及ばない。もしご醉狂にも事實讀んでみたところで、とても氏のお眼鏡にかなふやうな代物でないのは目に見えてゐる。私は、およそ茫漠として個人的な説明を試みた。推論を重ねるといふよりは、イメージを積み重ねて私の信ずるに到つた哲學を開陳した。あへて「私の」哲學とは言はぬ。私が作つた哲學ではないからだ。神と人類がそれを作つた。私はそれによつて作られたのである。

論爭家と云ふ奴は常に相手を説得する爲にものを書くのだと思はれるだらうが、實際にはさうでもない。論爭相手は論爭家の眞の敵ではない、論爭家は敵を「狂言まはし」としてしか考へてゐない事がある。

小林秀雄は、私に説教などできない、できるのは告白だけだ、と言つたさうである。葦津珍彦は敢て自分の神道觀を語らなかつた。福田恆存ならば、自分を語る事はできない、自分を演ずる事しか人はできない、とでも言つただらう。

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