"チャタレー夫人の恋人"は不潔な本ではない。これは清潔で、まじめで、美しい本である。うすぎたない本なら他にいくらでもある。われわれが"チャタレー夫人の恋人"をどうしても不潔な本だときめつけて読もうとするなら、不潔なのはわれわれである。
……
世界の注目をあびたこの法廷に立たされたのは、被告のペンギン・ブックスでも、作者のロレンスでもなく、"チャタレー夫人"であった。彼女は不幸にも、恋人メラーズの"四つ文字"(ワイセツ語"のために、好色・淫猥のラク印を押された。この小説に使われたfuck(性交)cunt(女の性器)cock(男の性器)をはじめ、ball, arse, pissなどのいわゆる卑語をめぐる露骨な論争は、検察側の執拗な攻撃にもかかわらず、聖職者、教育者をはじめ、二十一才の若い女性をふくむ三十五人の証人によって全面的に否定され、この小説を好色本と見なすものは、その人の心こそ不潔であると堂々と弁護し、十二人の市民からなる陪審団はついに"無罪"の断を下した。わが国でもサド裁判がひらかれている折柄、重大な関心が本書によせられている。
マスコミによるチャタレイ裁判(日本國内)についての「文學か猥褻か」と云ふ「要約」には、福田恆存が疑問を呈してゐる。
イギリスでは1959年に新しい「猥褻物出版取締法」が公布されたのを機にペンギンブックスが『チャタレイ夫人の恋人』の出版を計劃。出版社と警察との話合ひの結果、出版に先立つて刑事事件として裁判が行はれ、陪審員の評決を經て『チャタレイ夫人の恋人』が猥褻書であるか否かが決定される事となつた。
新しい法律では、猥褻書として告發された文書でも、科学、文学、美術上のため、またはその他一般に関係ある目的のためのものであり、公共の利益に資するものであることが正当に認められる
ならば罰せられない、と云ふ規定があつた。
『チャタレイ夫人の恋人』が猥褻物「でない」とされたら問題なく無罪だが、猥褻物「である」としても「公益性が認められる」ならば無罪である。
陪審員の判決は「無罪」だつた。が、これが「猥褻でない」と云ふ意味だつたのか、「猥褻ではあるが正當である」と云ふ意味だつたのかはわからない。
イギリスでの裁判に先立ちアメリカでも裁判が行はれ、合衆國聯邦裁判所は「チャタレイ夫人の恋人」は猥本ではない、と云ふ判決を下してゐる。
ジェラルド・ガーディナー氏は以下のやうに指摘してゐる。
……この特定の作品の中で、この特定の作家による、この特別の目的のために使用されたこれらの単語が合法的であるからと言って、同様の単語がどんな三文文士のどんな種類の小説に使用されてもかまわないということになるなどと、考えてはいけないのであります。