制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2010-11-26

『性・文學・檢閲』

書誌

目次

あとがきより

……。

この書を編者は『性・文學・檢閲』と題してゐるが、いかにも藝のない看板だ。ほかに名案もないので、そのまゝにしておいた。檢閲といつても、ロレンスにとつて、それはなにも制服の檢閲のみを意味しはしない。世の識者、常識人のうちに巣くふ檢閲根性、防衞的な警戒心、さういふものにロレンスは腹をたててゐるのである。

さういふ點からいへば、この書は、いまの日本において、時宜にかなつた出版といへよう。「チャタレー裁判」の最高裁判決が間近に迫つてゐるばかりでなく、いかゞはしい映畫の續出で、PTA族、かまとゝ族が躍起になつてゐるからである。檢閲狂といふのは、檢事や警官だけではない。

もちろん、「チャタレー夫人の戀人」とそれらのエロ映畫とは本質的にちがふ。ロレンスもいつてゐるやうに、エロ映畫など無いはうがいゝ。が、さういふエロ映畫でも、ロレンス流に考へれば、檢閲狂の「上品がり屋」が見のがす、あるひは支持さへする、感傷的な戀愛映畫、戀愛小説より、ずつと清潔なのだ。ロレンス流といつたが、それはたんなる獨斷ではない。もつともまともな考へかたなのである。ロレンスほど、性・愛・結婚について深く考へた作家はない。そして、深く考へてみれば、ロレンスのやうに結論するほかはないのである。

ロレンスの發言はふつう考へられてゐるやうに、主觀的ではない。表現のしかたは直觀的であり、激越ではあるが、けつして非論理的な感情論ではなく、無意識の底までかいくゞるやうな鋭く纖細な神經の働きが見られる。讀者はかれの論理のはこびかたに慣れるため、しばらく辛抱してもらひたいと思ふ。

……。

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