公開
2000-04-03

南京攻略戰、「南京虐殺」、「南京事件」

現在、「南京」がつく歴史用語は複數あつて、それらが錯綜し、混亂を助長してをります。ちなみに、「南京事件」と云へば、國民黨の北伐の過程で發生した事件を指します。(『大東亞戰爭への道』參照)中村粲教授はこの「南京事件」が、コミンテルンの指示に基き、革命軍中に入り込んだ共産分子によつて惹起こされたものとしてをります。それを考へると、南京攻略戰の最中に發生したとされる「南京虐殺」を「南京事件」と呼ぶのは、共産主義者の起した「南京事件」を覆ひ隱すのが狙ひである、と推測する事も出來ます。


Yahoo!掲示板で、私が申した事を繰返します。「南京虐殺」が「あつた」と言ふ人達は、南京周辺で起つた掠奪・暴行・捕虜處刑をひつくるめて「南京虐殺」と呼ぶべし、と主張します。これに對して、私は次のやうな喩へ話で反論しました。

西暦2000年4月1日午前6時丁度に、澁谷で殺人事件が、新宿で放火事件があつたとして、 その二つの事件が同じ時刻に、同じ東京都區内で發生したからと云つて、「東京事件」と 呼ぶのは妥當か──この二つの事件の間に、何らかの繋がりがある事が立證されたのならばともかく、論理的に何の繋がりもない別個の事件を一つに纏めてしまふのは、亂暴な話です。所謂「南京虐殺」「南京事件」では、ただ單に「南京で同じ頃に起きたから」と云ふだけの理由で、複數の事件を一つに纏めてしまへ、と云ふ話になつてをります。ですから、私はそれらの「複數の事件」を「一つに纏めてしま」ふべき根據を「南京虐殺あつた派」に要求した譯です。「あつた派」はその根據を一切呈示出來ませんでした。


私は、存在しない事件に「南京虐殺」とか「南京事件」とか、名前を與へてやる必要など無いと言ひたいのであります。「あつた派」にしてみれば、私の主張は腹に据ゑ兼ねるものです。だから彼等は、私を氣違ひ呼ばはりし、私を默らせる爲に奔走してをります。しかしながら、私の指摘を無視する事によつてはじめて「南京虐殺」が成立するのならば、「南京虐殺」など存在しない事は明かなのであります。


まあ、支那政府の言ふやうな「30萬人の虐殺」があつたとしても、たかだか30萬人です。ヒットラーやスターリンが數千萬人殺したのに比べて、誠にけちな「虐殺」です。しかも、ヒットラーやスターリンは、己の正義を信じて虐殺をやらかしたのに對して、日本軍は何の正義も信じないまま「虐殺」を(やらかしたのだとすれば)やらかしたのであります。私は、さう云ふ根本的な違ひを無視して、「俺達の御先祖樣は大虐殺をやらかしたのだぞ」と日本人が威張るのは間違つてゐると思ひます。

己の正義を信じて敵に對して冷酷になるのと、己の正義を信じられずに敵を闇雲に殺すのとでは、結果が同じ「敵を殺す」事になつても、同じ評價を與へられるべきではありません。前者は勇氣の發露であり、後者は臆病の發露だからです。

電腦正統記傳言板に投稿した記事。

參考リソース

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