「南京虐殺捏造屋」のダブルスタンダード
- 「南京虐殺捏造屋」は、罪の意識から「日本の戰爭犯罪」を指彈するのではない。彼等の頭には道徳と云ふ觀念がない。
- 彼等は敵を惡人呼ばはりする。ならば彼等は、自分で自分の事を善人だと思つてゐる筈だが、自分達は「歴史的」「科學的」な立場からものを言つてゐるだけだ、道徳は關係ない、と主張する。道徳的でないのならば、「戰爭犯罪」等を執拗に追求する彼等の熱意はどこに由來するのか。
- 彼等はすぐに「日本政府も南京虐殺はあつたと認めてゐる」と言ふ。しかし、日本政府の長である森總理が「日本は天皇中心の神の國である」と言つても、それを支持しない。彼等が政府の發言を支持するのは、自分達にとつて都合が良い時だけである。或は、政府の權威を盾に取るくせに、彼等は反政府的である。
- 彼等はすぐに「中国人が嫌がる」「マレーシア人はあきれてゐた」と言ふ。然るに彼等は自分が、嫌がられたりあきれられたりしてゐる當の日本人である事を失念してゐる。
- 彼等はすぐに「反論してみろ」と言ふ。「反論されなければ事實だ」と言ふ。しかし彼等は敵に反論しない。彼等は「敵の言ふ事は非論理的な決めつけだ」と決めつける事で逃げる。然るに、實際は彼等自身の主張こそ、決めつけに決めつけを重ねた非論理的なものでしかない。
彼等は論破されても平氣である。「ぢやあこれを論破してみろ」と言つて、またにせの「證據」を持出す。
彼等にしてみれば、結論は出てゐるのだから、その過程などどうでもよい、と云ふ事なのだらう。彼等にとつて、議論はただ、敵を愚弄し、自らのプライドを滿足させる爲のイヴェントに過ぎない。だから、執拗に反論する敵は、暴力的な手段で默らせようとする。
「中國政府が學者を動員して、これこれの數値を出して來た、だからこの調査は科學的なものである」──「中國政府」「學者」「數値」と云つた權威を左翼は信じてゐる。勿論、數値など幾らでも操作可能だし、學者が常に正しい事を言ふ譯でもないし、「中國政府」は共産黨の政府だから宣傳の爲に言論を歪めさせる事は屡々ある。
だが、「南京虐殺捏造屋」は、自分達に都合の良い結論を出して呉れる人間の言ふ事は、すぐに事實だと決めつける。そして、決めつけだと云ふのを糊塗するために「科學的」と云ふ言葉を以て權威づけるのである。