公開
2004-08-17
最終改訂
2005-01-03

易しい「南京大虐殺」入門

小林よしのり氏が過去の人となると共に世間の話題に上らなくなりましたが、夏になると左翼の人が騒ぎ出すので思ひ出しました。「南京大虐殺」。

現在も宣傳戰で頑張つてゐる人がゐるみたいですが、どんなに頑張つても既に「あつた」「なかつた」と云ふ信念を持つ人は、その信念で凝り固まつてゐます。今更宣傳で敵對勢力の意見を何う斯う出來ると云ふ事はありません。それでも頑張つて敵を罵る左翼の方々、及び右翼の方々は御苦勞な事です。まあ、「中間の人々」を「自分の陣營」に引込む事が目的なのでせうが。

用語としての妥當性

歴史的な用語として、「南京大虐殺」と云ふ言葉は大變、曖昧なものです。「南京大虐殺」は、もともと東京裁判で初めて「具體的な一つの事件」として採上げられたものです。しかし、その後の半世紀餘りの間に、「研究」が進むにつれて、定義が再三に亙つて擴張・變更されました。現在に至るまで、「南京大虐殺」の議論が混亂し、そもそも左翼と右翼との間で話が噛合はないでゐるのは、「南京大虐殺」そのものの定義が曖昧な事に據ります。

まづ、「大虐殺」と云ふ表現が、果して用語として適切なものであるか何うかが問題となります。ナチスに據る「ユダヤ人虐殺」等、歴史上の事件の名稱として「虐殺」なる用語は使はれてゐます。しかしながら、「ユダヤ人虐殺」と「南京大虐殺」とでは、餘りにも事件の性質が違ひます。同じやうに「虐殺」と呼ぶのが妥當かどうか、ここからして疑つて良いのですが、「あつた派」も「なかつた派」もこの邊の事には興味が無いやうです。

そもそも「虐殺」と云ふ言ひ方が、感情的で主情的なものだと言へます。殺されるのが猫一匹であつても、非道い殺し方であればそれは「虐殺」と呼ばれます。否、「殺す」と云ふ行爲は現在、それ自體として「非道い行爲である」と評價されるものです。現在の價値觀の下では、殺害に對しては「虐殺」のレッテルを貼る事がほぼ全ての場合において「可能である」とすら言ふ事が出來るでせう。

「虐殺」なる言ひ方を用語に採用するには、細心の注意が求められます。學術用語に主觀的な言葉を用ゐるのは、その主觀が一般に當然のものと認められてゐなければなりません。然るに、左翼と右翼との間で、「南京大虐殺」に關する見解は、現在のところ眞つ二つに分かれてゐるのです。

左翼の側から言はせれば、「南京大虐殺」を「大虐殺」と呼ぶのは餘りにも當り前の事であり、そこで何らかの拘りを見せるのは「何らかの意圖があるからだ」と臆測すべき理由になるらしいです。しかし、さうやつて「大虐殺」なる呼び方を「アプリオリに正しいもの」と思ひ込んでしまふのは何うかと思ひます。飽くまで「大虐殺」と云ふ主觀的・感情的な用語に拘る事こそ、センセーショナルな印象を與へる爲の意圖的な行爲である、と看做される方が普通です。

極めて常識的な話ですが、そもそも歴史に於て、「現在の價値觀」によつて過去の事象を判斷する事――斷罪する事――は、それ自體、問題があります。過去の事象については、一往はその「過去の時點」に立戻つて、その時點における價値觀に基いて事件を判斷する必要があります。「南京大虐殺」が過去に事件として「あつた」のならば、「南京大虐殺」が「あつた」時點の價値觀を知り、それに基づいて事象としての「南京大虐殺」なるものの評價を定めなければなりません。どうもその邊の檢討は、愼重になされてゐないやうで、特に「あつた派」の人々は現在の觀點から過去の事象を斷罪しようとしてゐる人が多く、それは歴史學的に極めて偏向した態度であるとしか言へません。既に破綻を來した唯物史觀では、マルクス主義の理論に基いて事實を歪めるのが當り前に行はれてゐました。「あつた派」の人々の中には、唯物史觀の冒した過ちを平然と繰返してゐる人が多數存在します。實際のところ、多くの「あつた派」がマルクス主義者であるのですが、この事實を「あつた派」は反對派に何とかして無視させたい樣子です。

いづれにせよ、「南京大虐殺」なる名稱を最初に採用してしまふのは、論者に先入見を植ゑ附けると云ふ重大な問題を含みます。


支那の中共政府は、「南京大屠殺」と呼んでをり、「南京大虐殺」とは呼んでゐません。現状、彼我の間には用語の不統一があります。

事實を觀察する上での用語による障碍

既に「南京大虐殺」なる名稱がある、だから大虐殺の事實が「ある」のだ、とか、性質として「虐殺」的なものが「あつた」と言へるのだ、とか、さう云ふ主張をする人もゐます。先に用語があつて、その用語の存在を大前提に事象の有無を判斷する、と云ふやり方は、檢證の方法として適切を缺くと言へます。殆ど「言靈信仰」であると言つても良いでせう。

まづ事實を檢證し、性質を決定してから、それに基づいて適切な名前を附ける、と言ふのならば、話は解ります。しかし、既に「南京大虐殺」と云ふ名稱だけは存在してしまつてゐる――となると、改めて「南京大虐殺」なる事象について檢討をし直す時、この名稱は、事實の性質とは必然的な關係を有するとは必ずしも言へない、言はば假稱として扱ふのが妥當であると言へます。即ち、名前に拘らないで客觀的に事實そのものを觀察する、と云ふ事が、なされるべき再檢證の過程では必要な態度である、と言へます。

さて、簡單に「事實そのものを觀察する」と言ひましたが、これが「南京大虐殺」の場合、大變な問題になります。なぜなら、觀察するには觀察の對象を限定しなければなりませんが、その範圍が現在までに何度も何度も擴張に擴張を重ねてゐるからです。

「大虐殺」と云ふ用語に拘つた左翼の人々も、「南京」と云ふ用語となると拘りを捨ててゐます。議論の過程で「南京大虐殺」が「行はれた」とされる範圍は、左翼の論者によつて、南京の市城の中のみならず近隣一帶をも含む、と云ふ風に擴げられてゐます。かうなると、その廣い範圍の中で行はれた事を觀察する、と云ふ話になる訣ですが、なぜそれらの範圍で行はれた事を一つの事件と看做すべきなのか、と云ふ理由が、現在の議論では曖昧なまゝなのです。或は、なぜその廣い範圍で行はれた行爲を、依然として「南京」でなされた行爲だと言はなければならないのか、と云ふ理由が。

「大虐殺」なる用語を採用するのに關して、左翼に言はせれば、「日本軍のした暴虐な行爲だから」と云ふ非常に簡單な理由があるやうです。しかし、その行爲の主體を「日本軍」と云ふ括りで括つてしまつて良いのかどうか、と云ふ疑問もまた「呈して良い」のではないかと思ひます。

例へば、社会党と共産党をまとめて「左翼」と言つてゐますが、日本共産党が戰前にやらかした「虐殺事件」を根據に、「左翼」を纏めて「暴虐である」と極附ける事は、左翼の側から反撥を受ける事でせう。或は、ソ聯の共産党の失敗を根據に、中国共産党と日本共産党とに解散を要求するとしたら、「あそことうちとは別」と反論が返つて來るでせう。「同じ○○」と言ふ事が出來るにしても、言葉が同じと云ふ事で安易に括る事が出來ないのは、覺えておいて良い事です。

これは「ユダヤ人虐殺」と「南京大虐殺」を同じ「虐殺」として安易に括つてしまふのが不適切である事をも示唆します。

日本軍の中にも部隊と云ふものが存在します。各部隊と上層部とはまた別です。「天皇制」と結び附けて「天皇が惡い」と昭和天皇を斷罪して見せる「あつた派」すらゐるのですが、何でもかんでも結び附けてしまつて良いものでせうか。その逆に、天皇の軍隊なのだから式の「神憑り」の説を述べる右翼も「ゐる」かも知れません。さう云ふ右翼は流石に一般的なウェブの論爭で見た事はありませんが、もしゐれば非難されて然るべきでせう。どうも「あつた派」は「なかつた派」をさう云ふ「神憑り」の群の中に押込めたいらしいですが、さう云ふ陰謀をめぐらせるのが歴史の論爭と云ふものなのでせうか。

歴史の事象をありのまゝに眺めて判斷する、と云ふ歴史學の基礎も解つてゐない人が、「南京大虐殺」の議論には極めて大量に關つてゐます。と言ふより、學問と云ふ事が解つてゐない人が、餘りにも澤山、「南京大虐殺」には關はつてゐます。學問とは「それは果して本當の事なのか?」と疑ふ事です。最初に「あつたのだ」等と信じてしまつてゐる「あつた派」が矢鱈と多いのは問題です。

行爲の範圍と行爲者の特定

ここで、「日本軍は暴虐ではなかつたと野嵜は言ひたいのか?」と云ふ疑問に答へておきませう。一般論として野嵜は「日本軍は暴虐であつた。屡々支那人民に非道い事をした」と思つてゐます。

ただ、「日本軍は暴虐だつた、だから南京大虐殺はあつたと言つて良い」とは思つてゐません。「あつた派」は、どうもその手の思ひ込みを持つてゐるらしいのですが、そんなのは理窟だとは言へません。日本軍が暴虐であつた事と、事件としての「南京大虐殺」が「あつた」か「なかつた」かとは、次元が異る話です。一方を他方に短絡するのは性急な態度だと言へます。

左翼の人々は、「日本軍は暴虐だつた」と云ふ事の印象を強く持つてゐるやうです。「南京大虐殺」が「あつた」とすれば、それは「日本軍は暴虐だつた」事の證明になる――そこで左翼の人には「證明をしたい」と考へる向きがあるやうです。その爲に、「あつた派」の左翼の間では、「日本軍」の定義が擴張される傾向があります。さうすれば「暴虐行爲」を出來るだけ多く掻き集められるからです。

「日本軍」

さて、「南京近隣における日本軍の暴虐な行爲を南京大虐殺と呼ぶ」と云ふ定義について、改めて論じます。私はこの定義が甚だ亂暴なものだと思ひます。

「日本軍」と言つても、日本人の軍人には個人もありましたし集團もありました。「複數の人間の形をしたもの」が「一つの日本軍と云ふ腦」によつて、一體のものとして動いてゐた、コントロールされてゐた、と云ふ訣ではありません。そして、一つの事件として認め得る對象は、或特定の個人なり集團なりによる一貫した行動でなければなりません。この時、一つのコントロール下にあつたと言ひ難い「南京近隣一體の日本軍」を、行爲の主體として、「南京大虐殺」なる一つの事件を定義するのは、不適切であると思はれます。

もちろん、日本軍に所屬する軍人・兵卒に、支那人民に對する暴虐行爲を働いた者があつた事は否定出來ません。具體的な證據は擧げられませんが、なかつたとは言へない。しかし、その場合にも、暴虐な行爲を行なつたのは飽くまで個別の人間、或は少數の集團です。「日本軍」なる言ひ方で纏めてしまつてよいものではありません。「日本軍」なる「組織」に責任を取らせようとする「あつた派」が多數存在しますが、性急に過ぎます。何より、特定の個人・法人の責任を追求するのは、歴史學の使命ではありません。

個別の部隊を統括する軍部・軍上層部の存在を指摘する左翼もゐます。しかし、左翼自身がその上層部に責任がない事を證明してゐます。南京攻略の指揮官・松井石根は、訓辭で軍に暴虐行爲を働かないやう諭してゐます。左翼は、それでも指揮官として責任を追及しますが、「暴虐行爲を命令した」のではなく「暴虐行爲を禁じた」ゆゑに有罪であると極附けるのは、をかしな話です。

松井大將のみならず、日本軍軍部全體を非難の對象とする左翼もゐます。しかしさうなると、「南京大虐殺」のみならず日本軍の支那大陸侵掠そのものに對する責任問題の追求が目的であると言はざるを得なくなります。議論が「南京大虐殺」の域を超えてしまふのです。それでも「南京大虐殺」なる事件を一つの事件と看做すのが左翼ですが、それでは歴史の話をしてゐるのか平和主義による歴史の斷罪をしてゐるのか、さつぱり訣が判りません――と言ふよりも、左翼が言ふのと違つて、茲では最早、話は完全に政治問題に屬してゐるのです。

現状、ウェブの各地で行はれてゐる「南京大虐殺」論爭は、屡々、「歴史の議論」になつてゐません。左翼は「南京大虐殺」を「歴史的事實」と主張しつゝ、「飽くまで事實に對する客觀的な評價をしてゐるのだ」と言張ります。ところが、歴史學の客觀的な評價ならば、責任の追及等と言つた發想が出て來るのは根本的にをかしいのです。左翼は「暴虐な行爲があつたと判つた、ならばその責任を追究するのは當り前ぢやないか」と言ひます。しかし、責任追求は最早、歴史學の範疇ではない。糺彈とか彈劾とかが「歴史學」の名の下に行はれる事はあり得ません――「あり得る」と思つてゐるのは唯物史觀だけです。唯物史觀は依然として「日本の左翼」を支配してゐます。だから私は今、「あつた派」と「左翼」とを區別しないで書いてゐます。

そもそも「虐殺」と云ふ言ひ方が主觀的な言ひ方であるのを考へれば、「南京大虐殺」論爭がまともな論爭でない事は明かです。左翼と右翼とで言爭つてゐるのだから、イデオロギー鬪爭であるに決つてゐます。そして、イデオロギーに基いた「事件の責任者」の定義を屡々左翼が行つてゐる事は、注意しなければなりません。繰返しますが、責任問題を云々するのはそもそも歴史學の使命ではないのです。

まとめ

「南京大虐殺を否定するのは右翼である」と言つて、左翼は宣傳をしてゐます。これは、右翼の印象が現代の日本で大變に惡い事を利用した、イメージ戰略です。右翼も對抗して「南京大虐殺はあつたと言つてゐるのは左翼である」と主張してゐます。

左翼イデオロギー、特に「平和主義」と「戰爭反對」の思想が支配的である日本國では「右翼の分が惡い」と言はざるを得ません。

それだけに、「南京大虐殺」論爭がイデオロギー論爭であり政治問題でありイメージに基いた中傷合戰である事實を、日本人は自覺する必要があります。左翼イデオロギーや右翼思想を單純にイメージで考へる性癖が、現代の日本人には植ゑつけられてゐます。それを意識して取拂ふ努力をする事が必要です。

その上で、果して「南京大虐殺」なる言ひ方をしてしまつて良いものかな? と考へてみる事は、あつて良い事でせう。もし、「そんな事を考へてはならない」とあなたに忠告する人がゐたら、そのやうな人をこそ警戒すべきです、あなたの思想を根據なく束縛しようとしてゐるのですから。

敢へて自由にものを考へてみる、と云ふのではありません。幾ら事實の認識の仕方は複數あると言つても、事實は一つです。認識を變へる事は自由に出來ますが、事實を變へる自由はありません。ただ、正しく認識するのが困難であるだけです。そこにつけこんで、或種の認識の仕方を「惡」と極附ける人がゐます。しかし、その「惡」と云ふ固定的な認識を前提として押附ける事は、即座に認識そのものの自由を奪ふ事となります。

自由に考へる事と、考へを事實から自由にする事とは違ひます。事實に故意に逆らふ必要はありません。事實に對して人は「不自由」であつて構はないのです。ただ、事實に近附く爲に、精神は自由である必要があります。さう云ふ意味での精神的な自由――自由な精神が、イデオロギーから獨立した眞の學問的精神であると言へます。

イデオロギーが學問を支配した時代がありました。唯物史觀が歴史學を支配した時代がありました。イデオロギーの求める「結論」、それだけが「事實」だと「定められた」のです。否、さう云ふ時代はまだ終つてゐません。イデオロギー的に結論が決定され、「事實」が「あつた」と強要される――そんな時代は續いてゐます。

しかし、イデオロギーに支配された學問は、進歩しません。「結論が決つてゐる」のだから當り前です。權力――それは、獨裁者であれ大衆であれ、違ひはありません――が學問を支配する、その時、學問は學問として機能しません。「學の獨立」と言ひます。學問は、世俗の權力から自由であるべきです。イデオロギーなり觀念なりに束縛されない自由な精神のみが、眞實に近附き得ます。權力ではなく、事實に立脚した學問が求められる所以です。權力慾も人の欲望の一つですが、眞實を知りたいと云ふ欲望もまた人の欲望の一つです。

現在においても、權力者が學問を支配する國家があります。それは中華人民共和國です。中華人民共和國は、マルクシズムに立脚した國家であり、「南京大屠殺」の「事實」を以て日本に壓力をかけつゝある國家です。國家の宣傳だからと言つて鵜呑みに出來ない事は、左翼の人々も言ひます。ところが、その左翼が、中華人民共和國の壓力を平然と受容れる。をかしな話です。左翼の國家の言ふ事だからと言つて、左翼の人はそれを信じなければならない訣でもないでせう。もし「同じ左翼」の政府が言ふ事ならば信じて良いと言ふのならば、「同じ日本人」の政府なり軍隊なりを信じても良いでせう。この點、左翼の主張には理がありません。

もちろん、「同じ左翼」の政府である中國政府は左翼だから善い政府であり信用しなければならない、嘗つての日本政府と日本軍は軍國主義だから惡い政府であり信用出來ない、と左翼の人が言ふのならば、「南京大虐殺」論爭は、客觀的な歴史の論爭ではなく、イデオロギー論爭である、と云ふ事を先に認めておくべきでせう。それを認めない左翼が現代の日本には餘りに多い。

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