「南京大虐殺」論爭を振返つて
政治思想の押附け合ひには意義を感じない。
- 「南京大虐殺」が、「あつたと云ふ結論」にではなく、「あつたと結論を出すに至るまでの思考・檢討の過程」に、私は反對したのだ、と云ふ事を、「あつた派」の人も「なかつた派」の人も理解しなかつた。
- 「南京大虐殺はあつた派」の人々は、不適切極まる方法で「あつた」と結論を出して平氣だつた。これは、「あつた」と結論を出した方が、彼等「あつた派」の人々の政治的信條にとつて好都合だから、さう「信じた」のに違ひない、と私は思つた。
- 一方、彼等「南京大虐殺はあつた派」の人々は、彼等自身がさうだから、私が「なかつた」と言つたのは、その方が自分の政治的信條にとつて都合が良いからだ、と單純に判斷した。
- そもそもの用語の定義の段階で、彼等「南京大虐殺はあつた派」は、頑強に抵抗した。「南京」の領域、「大」のレヴェル、「虐殺」の主體性――さうしたものを全て曖昧にしたまゝで、「兔に角日本人が反省する事に意義がある」と、彼等は主張した。
- 私の知る限り、政治的な目的で何らかの結論を下し、それを他人に押附けるのは、下らない事である。
- 「南京大虐殺」論爭は、「下らない政治的信條の押附け合ひ」の域を出なかつた。私は歴史的な檢討を要求したのだが、「あつた派」は、それが政治的な目的を達成する障碍になる事を知つてゐたから、必死になつて私の發言を潰しにかかつた。
- 政治的主張をする事は大變空虚な事で、やるに値しない。