制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2009-11-17

葦津珍彦の二つの顏――運動家として・神道家として

明治維新とともに近代國家建設の精神的礎として採用された神道は、國家鎭護の祭祀と、精神的支柱としての信仰の、二つの機能を分斷された上、近代化への不適應に伴ふ軍國主義化の趨勢の爲、國家に利用される思想に墮し、擧句、負け戰による死の戰ひへと國民を驅立てる「死の宗教」として最惡の姿を取らされ、敗戰を迎へる。G.H.Qによる神道指令によつて戰後の神道は、先づ消滅の危機に直面する事になる。さうした状況下、窮屈な戦前・戰中の國家の體制下で自由を求めてゐた宗教的な神道人は、改めて宗教としての體制を整備し、現代的な神社神道を成立せしめる事に成功した。現在の神社界は、個別に法人格を持つ全國の神社が聯合し、神社本廳の下に集つてゐる。神社本廳は、宗教法人であるが、敢て教義を持たない。斯うした戰後の神社の體制を確立するのに、思想面で極めて強い指導力を發揮した人物がゐる。それが葦津珍彦だ。

言論界では「神社神道を代表する人物」であるが、「思想の科学」における天皇制論爭で見せたやうに、優れた論文を數多く發表し、右翼のみならず左翼にまで「侮る可からざる敵」として高く評價された論客であつた。頭の良さでは見習ふ可き點が極めて多く、イデオロギー的な觀點から思想に臨む現代人には大變興味深いものと思はれる。が、一方で、宗教人であると云ふ事は屡々失念され、保守主義――と言ふより、右翼の側で、葦津を「利用すべき思想家」程度にしか見てゐない人は多いやうに思はれる。さう云つた意味で敬意を拂はれる事は、神道の「運動」の側面を意識的に擔つた葦津の意圖には必ずしも背かないものであるが、しかし葦津と云ふ人物を全體として見誤つたものであるとは言へよう。一方の左翼の側からも、理論面で強力な敵として認識され、高く評價されてゐる點に、氣を附ける必要がある。政治的な人々が、葦津珍彦と云ふ神道人に、大變強い關心を懐いてゐるのである。葦津が右・左兩派の思想への氣配りを忘れない公正な人物であつた事は間違ひないが、政治的な發言が極めて多かつた爲、政治的な關心しか持たない人にとつて葦津は、神道と右翼の思想とを直結して考へるきつかけにしかならない事も多い。もつとも、さう云ふ人は葦津の著作の内容を理解しようとせず、ただ現象面を見て物を言つてゐる事が非常に多い。

しかし、神道における重要な要素=「神憑り」的な側面を、葦津が忘れてゐた事はなく、ただ、論爭の場においては、或は批評の場においては、敢て封印してゐたに過ぎない。この事は葦津の著作集における解説で指摘されてゐる。葦津は最後まで「神憑り」的な態度を・宗教人の宗教的な側面を匿し通した。その評論は、常に論理的な――と言ふより、缺點を突込まれないやうな、現實に通用し得る、と云ふ意味で現實的な――内容で、理知的・理性的な印象を讀み手に與へた。主にイデオロギーに基いて理論を構築するタイプの左翼思想家から、葦津は「狡猾」な思想家とすら思はれてゐた。

葦津は、例へば法制の面では、現行憲法無效論を唱へる井上孚麿と、現行憲法を欽定憲法として認める大石義雄との間に立つて、兩者の主張に理解を示し、一方に加擔はしない態度をとつた。思想的にはイデオロギー的偏りを避け、不確實なものには賛成せず、穩健な立場から急進的な主張を抑制する方針をとつた。この點、大變現實主義的な思想家であつたと言へる。が、葦津においては、思想家としての立場と云ふものは所詮、意圖的に採用されたものに過ぎず、本質的には重要なものでなかつた。

戰後神道の再出發に當つては、折口信夫と柳田國男を排除する方針をとつた。葦津は飽くまで戰前の神道を(正の面も負の面も含めて)引繼ぎ、後世に引渡す事こそが使命であると信じてゐた。それは、國家神道と呼ばれた近代の神道の機能であつた國家鎮護の祭祀としての側面を繼續して保持しつゝ、國民全體との連携を強化して行かうと云ふもので、それは柳田における「常民」思想と相容れるものでなかつたのは明かである。柳田や折口の「神道」は、國家ではなく、庶民・地域共同體における信仰を主體とするもので、戰前の國家神道とは理論的に異るものであつた(少くとも葦津はさう認識した)。さうした立場がある事、またさうした考へ方が重要である事は理解した上で、しかし葦津はさうした柳田等の態度が一面戰後の風潮に阿るものだとして受容れられなかつた。戰前と戰後の斷絶を肯定する態度を、葦津は神道に許さなかつたのである。柳田等の態度が或意味單純な反近代の思想であつたのに對し、葦津の態度は歴史的な一貫性を重んずるものであつた。

斯うした態度が、戰後の神道を確立する爲の戰術であつた事は否めず、その點で葦津は「偉大な運動家」であつた訣だが、同時に「運動家」に徹した背後で葦津が最後まで宗教的な側面を匿し續けたのは、寧ろより注目すべき事實であると思はれる。さすがに神社新報社の選集の解説ではさうした事柄に注意を促してゐるが、神道家としての葦津は案外世間から見過ごされて來たやうに思はれる。最近葦津の著作を復刊した「葦津珍彦の主張」シリーズでも最終卷で從來「封印」されて來た葦津の文章を收めて、從來の一般的な葦津觀の修正を試みてゐる。

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