制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2008-12-31
追記
2009-11-17

葦津珍彦と「南京大虐殺」との關係

日本軍の南京攻略に際し、日本兵の暴虐な態度について、葦津等は軍に警告を發してゐた。その爲、指揮官の松井石根大將は、部下の兵士に、態度を愼むやう指令を發したのだが、部下の兵士はそれに從はなかつた。

日本兵が南京周邊の各地で勝手に暴行・掠奪を行つたのは、確かに事實である。ところが、軍上層部がさうした行動を指示したとか、非道い場合には天皇が責任者であるとか、そんな目茶苦茶な意見が、主に左翼から言出される事がある。それらは全て誤である。

松井大將は、敗戰後、部下の行動を抑へ切れなかつた・不法行爲の關係者に對して處罰を行はなかつた、との理由で、「東京裁判」において起訴、有罪とされ、戰犯として處刑された。然るに、「虐殺」を指導・命令した、との理由でない事は、注意が必要である。



以下は追記。

日清・日露戰爭を經て、日本は支那と滿洲に進出を果した。が、既にその頃には、民間と政府の對立のみならず、現場と政府との間でも意思の疎通が巧く行かない状況が生じてゐた。

明治維新以來、ヨーロッパ勢力からのアジアの解放を叫んだ日本人活動家の存在が、清國周邊の状況に影響を與へてゐた。滿洲人の國家であつた清國を何う扱ふべきかは、長い間、被支配階級であつた漢人にとつては重大な問題で、日本の勢力による支那本土からの滿洲勢力追放が考へられてゐた。

清國が倒れた後には、日本の勢力が滿洲で權益を確保するのは當然であるといつた考へ方もあつた。

しかし、實際に中華民國が成立してみれば、最早日本の勢力が支那にある事に、漢人が我慢できる訣もなく、最早、支那では反日・抗日運動が抑へられないやうになつた。さう云ふ状況下で日本の關東軍が「暴發」したのも當然と言へば當然であつた。即ち、日支間の對立は、必然的に軍事的な對立へと進展せざるを得なかつたわけである。

が、さうした對立を生じた背景には、現地の軍と、本土の政府との間の、認識の違ひ・方針の差があり、殊に日本政府の無定見な態度は、現地の日本人にとつて、大變齒痒いものであつたといふ。一方、現地の日本人による獨自の行動を抑へる能力を、日本政府が持つてゐなかつた事も事實である。

さうした状況は、日米開戰の後も續いてゐた。日本から派遣された兵士も、可なりの程度、日本政府や司令部のコントロールを離れてゐたと見ていい。同時に指摘されねばならないのは、軍紀の紊れであるが、既に日本人の道徳的な頽廢は明かになつてゐたのであり、戰場の兵士の規律も相當亂れてゐた事は豫想される。が、それは、日本人だけに言へるのではなく、支那人の側も同じだつた。支那で清末期以來、軍閥の亂立したのには、支那の人民の間に秩序・規律といつたものが消滅してゐた事實を反映してゐる。

要するに、敵も身方も非道く荒んだ状況下で戰つてゐたのであり、さうした状況下で「大虐殺」なるものが「起きた」としても、その責任が奈邊にあるかは、心理的に説明する事が出來ないのであり、一方的に「暴虐な日本人」によるとする説明は、決して説得力を持たない。しかも、統率のとれた兵士によつて組織的に行はれた犯罪行爲なるものは、全く想定出來ないのであつて、散發的に行はれたであらう行爲を拾ひ上げて、一括りにして「一箇の犯罪」と稱するのは、無理があると言はざるを得ない。

案外、我々は、現實の歴史的な状況を忘れて、理念的・觀念的に物事を裁斷し易い。しかし、それが歴史的に正しい態度であるか何うかは、甚だ疑問がある。殊に、一方的な斷罪を意圖して、偏つた目で見て事實を誤解し、結果として歪曲に基いた冤罪を發生させるとすれば、それこそ非難されて良い事であらう。なるほど、一般人による裁判員制度を疑問視する意見の強いのも、頷ける事である。


葦津珍彦『明治維新と東洋の解放』(元版・新勢力社/復刻版・皇學館出版部)は、戰後になつて激しく糺彈されてゐる戰前の右翼的な思想と行動について、その歴史的變遷を辿る歴史書である。

葦津氏は、戰前の右翼と左翼の活動家の、具體的な發言と行動を採上げ、活動家の理論を明かにしてゐる。そして、世の中の情勢と比較して、結果として思想が歴史にどのやうな影響を與へたのか、簡單に纏めてゐる。

左翼的な立場から日本の近代史を述べた歴史書は非常に多いが、右翼の立場から述べた歴史書は極めて少い。從來の一般的な史觀を相對化する爲に、左翼諸氏には、葦津氏の著作を一讀すると良い。もつとも、葦津氏はもつぱら、政治的な觀點から見てゐるのであつて、本質的に政治的な左翼諸氏にも、同書は興味深く讀める事だらう。

近代における日本と支那の思想的状況を確認しておいて、それから改めて「現代史」としての昭和の戰爭について考へる事も、必要な事だらう。もつとも、そのときのものの見方が極端に政治に偏つてゐる事をこそ、我々は反省する必要があるのであつて、それが明治以來――と言ふより、それ以前からの日本人の「當り前の者の見方」であり、日本人の宿痾である事も、同書を讀めば、理解しようと思へばする事が出來るのである。

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