制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
初出
「闇黒日記」平成二十一年十月二十九日
公開
2009-12-05
改訂
2011-01-12

葦津珍彦『明治維新と東洋の解放』

書誌

新勢力社版
昭和三十九年七月 初版
新勢力社
新漢字正假名遣に據る
皇學館出版部版
平成七年八月十五日 発行
平成九年六月一日 第二刷発行
平成十七年四月一日 第三刷発行
学校法人 皇學館出版部
卷頭に新田均「復刊の辞」を附す

目次

進藤一馬「序」

昭和三十九年版の序文に附され、復刊版にも再録されてゐる。

明治維新は、東洋解放史の序幕であった。明治維新いらい百年、日本とアジアの交渉史を観ることは、現代の日本人にとっても緊要である。とくにこの間の歴史において、私は、政府対政府の交渉史よりも、むしろ在野の有志―例えば頭山満、犬養木堂の先覚者と、孫文、黄興等の革命家たち―の交渉史に注目したいと思う。それは、たゞアジアの過去を語るものでなく、アジアの未来の希望を語るものであるからである。この意味において「明治維新と東洋の解放」の著者が、幕末から大東亜戦争にいたる日本の一世紀の歴史を論ずるにさいして、在野有志の人物と思想に重きをおいているのに、私は同感する。

……。

著者の論は、現代流行の俗流進歩史観に鋭く反論している。しかしそれは、軍閥官僚を弁護する所謂後向きの論ではない。東洋解放のために、強く結ばれた日本とアジアの在野先覚者の志を継承するものである。……。

コメント

内容の解り易さ・論理の明晰さ・文章の讀み易さにもかかはらず、嫌な印象を持つた。それは葦津氏が日本人の政治主義に全く無批判で、現代のウェブの「論客」の人と全く同じ程度の認識しか持つてゐない事に據る。さうした著者の立場を無視して事實を見るなら――

明治以來の日本人の態度は現在に至るまで一切變化してゐない。明治時代の日本人は、現代の日本人と全く同じだ。「彼等」は――常に政治を第一に考へる。權力鬪爭に熱中し、權力を手に入れる爲に理論を利用する。右翼・左翼の違ひは、單に分類であるに過ぎない。思想家としての右・左の別は言へるが、思想に基いて態度を決めるよりも個別の問題毎に是々非々の態度を取る傾向が強い。理想よりも人を優先する。敵身方思考が甚だしく、尊敬できる人物を只管禮讚し、輕蔑する人物を見下して只管嘲る。そして常に反政府的である。

……葦津氏は、さう云ふ日本人の態度を、日本特有の事情と指摘するが、それを批判しない。そして、明治以來のさうした日本人の「伝統」の中に立つて、「伝統」的な人物評價を行ふ。その論理が「明晰」であり、事實認識が「正確」である事は否定出來ないが、それゆゑに「ネット論壇」の右や左の論者から葦津氏が高く評價されてゐるであらう事は推測出來る。

私も、葦津氏の頭の良い事・言つてゐる事のいちいち尤もである事は認める。けれども氏の政治論はそれほど高く評價しない。

そして、斯うした、政治と密着した思想としての神道と云ふものを考へた時、理論的かつ近代的である「我々だけの神社神道」への愛着を持つとは言ひたいのだけれども、その「祭政一致」の態度の限界と嫌らしさを意識せざるを得ない。

日本における左翼の政治主義者と日本における右翼の政治主義者――そのどちらも、日本的な餘り日本的な存在で、彼等が何れも嫌な存在である事は言ふまでもない。松原正氏は、日本人は拜外主義か、でなければ排外主義である、と述べた。そして、政治主義の嫌らしさを盛に説いた。その點で葦津氏が無反省である事は否定出來ない。

葦津氏は、もともと昭和初期の左翼思想を經驗した人物で、そこから神道の思想へと「囘歸」を果した。しかし、左翼的な「體制への反抗心」を持ち續け、それを神社神道の理論と化したらしき氣配がある。本書でも、政治活動家の在野と云ふ側面を強調してゐる。それが、現代の右翼のみならず左翼にも葦津氏に「共感」を抱かせる要因の一つであるやうに思はれる。

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